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まったく走れなかった私が「そうかな?」の連続でフルマラソン走るまで

医療関係 塩之谷 香

 それは2017年4月、「香ちゃん、1時間歩いてるなら、その分走ったら痩せるよ!」と内科のドクターに言われて、「そうかな?」と単純に考えた私。

それまで土日に自宅から名古屋城一周の6kmほどのウォーキングを時々していたけど「痩せない〜」と愚痴をこぼしたりして(あとになって考えると、そんなもんで痩せるはずはなかった)。

 ちょうどその頃、名城公園にランニングステーションができたらしいことを知った。
私はいつも愛知県体育館と名古屋医療センターの間を北に下りたところから、名城公園は通らずにキャッスルホテルのほうに曲がっていたが、「ちょっと覗いてみるか」と立ち寄ったのが「FROG」だった。
置いてあったパンフレットの「走りたくない!でも痩せたい!」とか「誰でもフルマラソン!」という「そんなんウソだぁ〜、無理でしょ」って思うキャッチコピーに目を惹かれて手にしたのが始まりだった。

走ることと無縁だったランニング超初心者な私が走ると決めた理由
 私は「走る」ということとは全く無縁だった。子供の頃から運動は大の苦手で体育の成績も3以下しかついたことがないし、運動部経験も皆無。そのまま大人になりこの年になってしまったのだし、今さら走るなんて無理!「走れるようになりたいな」という気持ちと、「そんなの無理」という気持ちが交錯していた。

整形外科医という職業についているが、スポーツをする人の気持ちがまったく分からず、ランの相談を受けても「何でこんな苦しいことを自ら進んでやるんだろう?」と不思議に思っていた。
5年ほど前に、所属しているジャズのビッグバンドのライブを岐阜のホールでした時、ちょうど「ぎふ清流マラソン」のランナーたちがビルの下を走っていたが、バンドのメンバーと「走るって何が楽しいんだろう?」「俺らは絶対あっち側の人間にはならんな」と言い合っていたのを思い出す。

ランニングスクール「FROG」との出会い〜6月〜
 おそるおそる申し込んだスクールは、男女比も年齢構成も職業もランの経験もバラバラの60人が10組に分けられて運命共同体となった。
実際のスクールの開講は4週間に1回で、午前中に5km走ってタイム計測、その後講義、そしてランフォームの実習という構成。お互いをニックネームで呼び、毎日励まし合っていく。
私は「シオ」という高校生の時に呼ばれていた名前にした。
「シオさん」「シオちゃん」と呼ばれるなんて何年ぶり?飲み会も開かれ、自然と親しくなっていく。
ただ単に月1回走り方の講義を受けるために集まるというのではなく、毎日の課題をこなし、その報告をSNSダイアリーで全体に報告するという義務を負う。
毎日のダイアリーは慣れるまではプレッシャーだった。まだこの頃は「ちょっと走れるようになって体重が減ったらいいな」くらいに考えていた。

運動苦手な私のランニングの始め方
まったくランの経験のない生徒は、60人のうち私ともう一人だけだった。毎日の課題は筋トレ(腹筋やスクワットなど)、15分のジョグ、お休み(何もしてはいけない日)、など走力別にコースが別れたカレンダーになっている。
ジョギングとは「おしゃべりしながら呼吸が乱れないくらい楽に走れる速度」という注文がつく。
しかしそれでも最初は無理で、100mくらいが限界だった。
ゆっくり歩いたりまた走り出したりを繰り返していて、「本当に走れるようになるんだろうか」と不安ばかり。
でも少しずつ距離が伸びたり、できるようになったりしたことをダイアリーに書くと、みんながコメントで「シオちゃんすご〜い!」と褒めちぎってくれる。
おだてに乗りやすい私は「そうかな?」とうれしくなってくる。
4週に一回の5kmのタイムトライアル、初回は3kmでリタイアだったが2回目に走り通せてゴールテープを切れたことが本当にうれしく、周囲が心から祝福してくれたことが励みになった。この時点でスクールの120日の半分、2ヶ月が経っていた。

名古屋ウィメンズマラソンの申し込み
 9月になって周りがそわそわし始める。
私は全くフルマラソンなんて走るつもりはなかったし別世界のことだとのんびり構えていたら、「シオちゃん!一緒に走ろう!!」「え?」「絶対3月までに走れるようになるから大丈夫だよ!」「そうだよ!一緒にエントリーしよっ!」と衝撃の周囲の声。
またそこで「そうかな?」と思う単純な私、チャリティー枠をポチっとしたら通ってしまった。が、まだこの時点では10kmを走ったことすらない。なんて無謀な・・・とオットに呆れられた。
10月にスクールの120日を終える頃は、のんびりなら1時間は走れるようになっていた。それでも走るのが楽しいなんて思えなかった。11月にスクールが再開し、また別のメンバーと新しいグループになってコツコツと走り始めた。

人生で初めてのマラソン大会「新春春日井10kmマラソン」
 とても不安だったのだが、春日井市での10kmマラソンに周囲の誘いで申し込んだ。初のラン大会出場。手元の計測時間とペースが違い、途中の足切りにあと数十秒で引っかかりそうになったが何とかクリア。結局ギリギリだったがゴールに到着することができた。10kmは走れたが
難行苦行の修業、楽しいとは思えない自分がいた。一度ハーフマラソンにチャレンジするつもりでいたが、体調不良のため棄権。いきなりフルマラソンに挑戦することとなった。
直前にお目にかかった愛知医科大学整形外科の岩堀教授とお話ししたら、「ハーフまではなんとか走れ!あとは歩いても間に合う」とアドバイスを頂き、「そうかな?」と走ってみることにした。

ついに!初めての名古屋ウィメンズマラソン
ついに当日を迎えてしまった。
制限時間は号砲から7時間なので、あとにスタートするほど実際の制限時間は短くなる。
速い人から前方のブロックに並び、私はほぼ最終グループでスタート。
スタート地点を通過した時点で、すでに20分以上経っていた。
見慣れた道も走ると違って見える。まぁ、なんとか時間内にゴールできればいいや、と出走。

私たちはほぼお揃いのブルーのアロハ柄のウェアを着ているので、FROG所属だと一目瞭然。
すれ違うメンバー、追い抜くメンバーも同じアロハ柄だと「ファイト!」と声を掛け合う。

男性は出場できないので、4kmごとにFROGの旗を立てて応援ステーションを設置してくれて、声かけ、ドリンクや塩飴の補給、コールドスプレーなどを用意して全力でサポートしてくれる。

これがどれだけ助かったか!

「30kmの壁」どころか、ハーフにたどり着いた頃からもう走ることが困難になってきたが、「あと4kmで仲間が待っていてくれる!」と、次のステーションめがけて走る、というのが心の支えとなった。今はランナーががどこを走っているかがインターネット上で分かるらしい。
友人がメッセンジャーで逐一応援してくれ、「あとここをちょっと粘れば6時間切れる!」と応援してくれたのを「え、そうかな?」と踏ん張って最後の角を曲がり、ナゴヤドームが見えたときには涙が出そうになった。

ドーム内のゴール地点を踏んだときは5時間56分50秒だった。
ティファニーのブルーボックスを手に持って、記念写真。
本当に自分が42.195kmのゴールにたどり着けたということが信じられないくらいだった。

きっかけはささいな言葉。でも、その言葉に導かれ人生で初めてのフルマラソン完走
 走るきっかけも、マラソンに出るのも、走りきったのも「こうしたら?」「できるよ!」と言われて「そうかな?」と思っただけの単純さ。
「すご〜い!」と褒められればやる気になる。
1年間で10kg減に成功もしたし、来年のウィメンズマラソンの出走権も手に入れた。
もちろんFROGも継続中。
そして、「塩之谷香にできるなら私にもできるはず」とFROGでジョグを始める友人も続発。
そして何より、ジョギングやランについての患者さんからの相談にランナー目線で乗ることができるようになったのが最大の収穫かな。
オーバーワークやトレーニング不足のいきなりのラン、筋トレ不足やシューズの適合、摩耗などについてもチェックしてますよ。

 人生、何か目標があれば、それに向かって努力すればこの年になってもまだ到達できるのかも知れない。
絶対無理と思っていたことだって可能になるんだ、と目の前が明るくなった。
多分FROGの仲間たちとこれからも走り続けるだろう。

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